輝け9条! 許すな改憲! 石川から平和のメッセージを!
輝け9条!
平和憲法公布64年記念石川県民集会
輝け9条! 県民集会に350名が参加
2010年11月3日に「9条の会・石川ネット」主催の平和憲法公布64年を記念する憲法集会が教育会館で開催されました。約350名の市民が参加し、会場はいっぱいになるなかで、若手弁護士の川本樹さんの司会で集会が始まりました。
最初に、呼びかけ人を代表して五十嵐正博さん(神戸大学大学院教授)が主催者あいさつをおこない、特別講演をしていただく森口豁さんのプロフィールを紹介しました。森口さんは、1956年、18歳の時に沖縄に行きアメリカの施政下の沖縄を目の当たりにして衝撃を受け、このことを契機として大学を中退してジャーナリストとなられましたが、この話を聞いて、五十嵐さんは、「自分も米軍への怒りを感じてはいたものの沖縄に行って何かしようとは考えてもいなかった、世の中にはこんなすごい人がいるのか」とその行動力に驚いたという自身の体験を述べ集会をともに成功させようと呼びかけました。
続いて、「沖縄を語る会」主宰でジャーナリストである森口さんの「沖縄つなぎとめる記憶のために」と題して特別講演です。森口さんが1960年代に撮影した「米軍政下の沖縄の日常」の様子がスライド上映されました。民間地が「銃剣とブルドーザー」で奪い取られたため、米軍基地のフェンスの向こうにあるお墓に向けて手を合わせる老女たち。村の中を完全武装で行軍する海兵隊員。国道を我が物顔で走行する戦車。中城城址の城壁に軍靴で乗りこんで、「戦史研究」をおこなう陸自の幹部候補生たち。森口さんは「これらの光景はいまも何も変わっていない」と訴えます。続けて、ドキュメント作品「俺の鉄工所と安保」が上映されました。厚木基地近くの町工場に米軍のジェット機が墜落し、3人の子どもと鉄工所を奪われた舘野さんを追った作品です。政府・防衛施設庁は舘野さんの工場の土地を危険地域に指定して奪い取り、約束していた代替地(国有地)の払い下げも反故にしたのです。奥さんは精神錯乱で入院、二年後に離婚。舘野さんは、工場の再建もままならず生活保護を受けながら裁判闘争を闘い続けています。まさしく安保条約によって国民生活が犠牲にされている姿が赤裸々に映し出されました。最後に森口さんは、「菅政権はかつての自民党政権のプログラム通りに辺野古新基地建設を進めようとしている。絶対に止めなければいけない。沖縄の人たちの『基地はいらない』という意志は、名護市民投票や県民大会、市長選・市議会選、県議会の決議などで何度も示されてきた。われわれはこの思いに応えよう」と訴え、講演を締めくくりました。沖縄が抱える大きな矛盾と格闘する森口さんの熱いメッセージが参加者の心に染みわたったと思います。
次は、県下の九条の会からの報告です。「内灘憲法九条の会」代表の杉山雄二郎さんからは、9のつく日に横断幕やのぼりで憲法九条の大切さを訴えるサイレント活動や毎月一回公民館でアニメ映画「はだしのゲン」の上映会を継続しておこなっていることなどが報告されました。「城北クリニック・ふれあい はあとの会」の瀬端由紀子さんからは、看護、介護の職場で働いているため高齢者から戦争体験の話を聞く機会が多いが、もう一度戦争をしたいという人は一人もいない。土日も祝日もない忙しい職場ですが、戦争の時代には戻りたくないという思いを大切にし、若い職員が感動できるような・そして政治や憲法を身近に感じるような活動を続けていきたいと述べました。
青年九条の会の西村結さんと北村真実さんが集会アピールを提案し、参加者の拍手で採択されました(この集会アピールは政府と各政党にファックスで送付しました)。最後に、加賀九条の会の代表の木村勝保さんが森口さんの話を聞いて沖縄の基地の問題は私たちに突きつけられた問題であると思った、辺野古新基地建設に反対するために学習し行動していきたいと決意を述べ集会を終えました。
日 時 | 2010年11月3日(月・祝) 午後2時~4時30分 |
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場 所 |
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内 容 |
1.講演とDVDの上映
2.県内のいくつかの「9条の会」からの活動報告 |
入場料 | 無料(会場カンパをお願いします。) |
その他 | 手話通訳あります。 |
主 催 | 九条の会・石川ネット |
賛同団体 | 県内各地の「9条の会」 |